草森紳一先生が亡くなられてから、早くも10か月が過ぎました。その間、遺稿の出版や蔵書の整理、そして回顧展の企画など、先生の生きざまを世に伝えようとするさまざまな試みの中で、いろいろな出会いがあり、新しい人間関係の発展を生んできました。
しかし、昨年秋から世界を襲った不景気の波はここにも及び、蔵書を中心とした「草森文庫」の設立や、回顧展の開催は、いずれもスポンサーの撤退によって、中断を余儀なくされています。唯一、いくつかの遺稿がまとめられ、出版されたのがなぐさめですが、書籍化されていない先生の原稿は、まだまだあふれているような状態です。
草森先生についての情報発信基地が欲しい。――担当編集者として先生にお世話になり、亡くなってからは主に蔵書整理に携わっていた私は、それを先行投資のほとんどかからないネットの世界に求めようと考えました。ご遺族のみなさんにご相談申し上げたところ、幸いにご快諾をいただき、また、関係する多くの方々からもご賛同・ご協力をいただくことができました。
このサイトは、かくして設立の運びとなりました。
9世紀に活躍した中国の詩人、李賀が死ぬとき、天帝から「新しく白玉楼という宮殿を建てたので、それを記念する文章を書いて欲しい」と頼まれて天に昇った、という伝説があります。ここから、才能あふれる文筆家が亡くなることを表す「白玉楼中の人となる」という成語が生まれました。
19歳のときに出会って以来、生涯にわたって李賀の「鬼才」に惚れ込んでいた草森先生もまた、今ごろは白玉楼に登って李賀と酒を酌み交わしているのでしょうか。
現代日本の「鬼才」を記念するサイトに、「白玉楼中の人」と名付けた由縁です。
このサイトの開設にあたっては、多くの方々の献身的なご協力をいただきました。そして今後も、多くの人々によって、草森先生のことが語り継がれていくことでしょう。そのための基地として、このサイトが少しでも役立つことを願ってやみません。
2009年1月25日
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